Lalala.embroidery的個人資料
ある時、千数百年前に作られた刺繍作品に出会いました。
それは仏を荘厳するものとして作られたものでした。
当時は化学染料はありません。人工的に作られた繊維もありません。糸も生地の原料も、それを染める染料も自然の恵みがすべてでした。わずか百年ほど前までは、それが当たり前でしたが、現代ではすっかり事情は変わりました。
たくさんの研究と知識の増大によって、便利な材料や道具が生み出され、技術が開発されてあらゆる物作りの様相は一変しました。
そのなかにおいて、日本刺繍だけは時が止まったかのように、千年前と変わらぬ技法を脈々と受け継いで来ているのは、奇跡のように思いました。
日本刺繍ではまったく撚りを掛けていない絹糸を使います。言ってしまえば糸としては未完成です。
なかなか扱いにくく思うように操るには時間がかかります。ですが敢えてこのような糸を使うことで、絹糸の持つ輝きを最大限に引き出すことが出来るのです。
古の宝物は退色こそしてはいますが、絹糸の輝きは今も全く失っていませんでした。その光は、千年前に生きた人々と私は繋がっていると実感させてくれました。どれほどの時を経ても変わらないものは確実にあると教えてくれました。
多くの人から人へ、また人から人へと、延々と繋げられてきた素晴らしい世界の一端に触れることが出来ました。
ここから先、どんな風に針と糸でもって世界とつながって行けるでしょうか。ほんのわずかでも、先人たちのように美しい糸の端を誰かに渡せていけたらいいなと願っています。
Instagramにて、制作中の様子等々公開しています。
是非ご覧下さい。
lalala.embroidery
それは仏を荘厳するものとして作られたものでした。
当時は化学染料はありません。人工的に作られた繊維もありません。糸も生地の原料も、それを染める染料も自然の恵みがすべてでした。わずか百年ほど前までは、それが当たり前でしたが、現代ではすっかり事情は変わりました。
たくさんの研究と知識の増大によって、便利な材料や道具が生み出され、技術が開発されてあらゆる物作りの様相は一変しました。
そのなかにおいて、日本刺繍だけは時が止まったかのように、千年前と変わらぬ技法を脈々と受け継いで来ているのは、奇跡のように思いました。
日本刺繍ではまったく撚りを掛けていない絹糸を使います。言ってしまえば糸としては未完成です。
なかなか扱いにくく思うように操るには時間がかかります。ですが敢えてこのような糸を使うことで、絹糸の持つ輝きを最大限に引き出すことが出来るのです。
古の宝物は退色こそしてはいますが、絹糸の輝きは今も全く失っていませんでした。その光は、千年前に生きた人々と私は繋がっていると実感させてくれました。どれほどの時を経ても変わらないものは確実にあると教えてくれました。
多くの人から人へ、また人から人へと、延々と繋げられてきた素晴らしい世界の一端に触れることが出来ました。
ここから先、どんな風に針と糸でもって世界とつながって行けるでしょうか。ほんのわずかでも、先人たちのように美しい糸の端を誰かに渡せていけたらいいなと願っています。
Instagramにて、制作中の様子等々公開しています。
是非ご覧下さい。
lalala.embroidery