よしだ書道具店的個人資料
この書道具セットを開発するきっかけは、鍋島藩のお殿様に献上されたと云われる陶硯(とうけん)に出逢ったからでした。重厚感たっぷりでクラシカルな佇まいに「欲しい。」と強烈に思いました。少し震えていたかもしれません。「作るしかない。」と思いました。私には生産設備がありませんので、親しい窯元に相談しました。だいぶ熱っぽく語ったと思いますが。皆さん優しい口調で一刀両断です。「うん、売れん。」(リターン早すぎるです・・・)それから通いましたが相手にされません。こうなったら、じぶんでやるしかありません。手探りの、夜な夜な研究室がスタートしました。始まりは、手遊びのようなレベルだったと思います。それを窯元に持っていくと、笑われました。「重たさー」「焼いて割れてもしらんけんね」などとよく言われました。そしてこれが予言通りよく割れました。周りからは、同じ失敗ばっかいやな。と見えてても、僕には近づいてるような手応えがあるんです。妙なもので、少しずつ掴みかけてる実感というのは、自分にしかわからないんですね。(たぶん・・・)
ある時、急に成長したように見える子供も実はそうでは無い様に。(これも、たぶん・・・)そこで原料から見直そうと土屋さんを訪ね歩きました。いろんな材料を少しずつ分けてもらって作りました。
しかし、両親の風当たりがだいぶ強くなってきました。
日常業務に支障をきたすようになってきたからです。夜な夜な研究室がばれた?あたりまえです。いつまでも秘密は通りません。もうよかやろ?たのむ、やめてくれ。やめぬとハサミでちょん切るぞ。など連日の圧を受け、開発スピードを上げなくてはなりませんでした。手作りの限界を知って、製法を見直そうと思いました。
そこで、型屋さん、生地屋さん、窯元さんを訪ね始めました。ここまでですでに2年。時間の経つのは早いものです。ちなみに「型屋さん」とは、焼き物の生地を成形する為の「石膏型を作る方々」です。「生地屋さん」とはその石膏型に土を流し込んで生地を作る方々です。有田は、生産性を上げる為に分業制をとっています。その為、業種は同じでも個性や特色があり、コアな得意分野に特化しているところが多くあります。お客さんの多様なニーズに応えているとそうなりますよね。工場の連携、材料や製法の相性や組み合わせ。そう、そこはもう袋小路。ある意味、その個性や技術の組み合わせが有田焼と言っていいかもしれません。その多種多様な組み合わせの難しさを知らなかった私、不肖吉田は全く相手にされません。(ろ、ろこつ、、)
モノづくりをなんっも知らん若造商人か。みたいな感じです。
そりゃそうです。素人が足を突っ込む現場ではないのです。さらに時はリーマンショック真っ只中。そんな若造のたわごとなど聞いてる余裕はないのです。激減したけれども今ある少ない仕事を大切にして・・・
仕事が激減?ということは時間はありますよね・・・
うっかり口に出したら怒られました。当然です。でも引き下がれません。だって、もしかしたらもう八合目あたりまで来てるかもしれんじゃないですか。外で職人の洗礼を全身に浴び、会社では親父からの責め苦が。それでも夜が楽しみでした。研究と調べものに没頭し、ぼろぞうきんのようになって眠るのです。朝までは敵も攻めて来ないでしょう。ああ、やっぱり夜っていいなぁと天に感謝しました。5年を迎える頃、この日々に終止符が打たれ、次のステージ・・・硯に組み合わせる筆、墨、化粧箱そして巾着、下敷きの方へ移っていきます。
この先の話は、またくどいので別の機会にします。
この地下活動中に、多くを学びました・・・
原料から製品まで、職人さんの仕事が繋がっている事。
相性や連携が悪ければ、失敗の原因さえ掴めない事。
思いの共有はとても難しいけれど、思いが無いと何も始まらないし進まないこと。
そして、発奮材料を頂いた多くの方々や実は研究を見守ってくれていた両親への恩返しは、職人さんに発注する事そしてそれを継続発展させる事でしか返せない、と思うに至りました。
ご縁のあった方に届けられお役に立てたら、この上ないです。
どこにあっても無心に咲く花のように手元に置きたい愛おしい陶硯であって欲しいと思い、花陶硯(はなとうけん)と名づけました。
こんなちいさな自分のちいさな道具に、拍手をいただけたら幸いです。 よしだ書道具店 店主拝
ある時、急に成長したように見える子供も実はそうでは無い様に。(これも、たぶん・・・)そこで原料から見直そうと土屋さんを訪ね歩きました。いろんな材料を少しずつ分けてもらって作りました。
しかし、両親の風当たりがだいぶ強くなってきました。
日常業務に支障をきたすようになってきたからです。夜な夜な研究室がばれた?あたりまえです。いつまでも秘密は通りません。もうよかやろ?たのむ、やめてくれ。やめぬとハサミでちょん切るぞ。など連日の圧を受け、開発スピードを上げなくてはなりませんでした。手作りの限界を知って、製法を見直そうと思いました。
そこで、型屋さん、生地屋さん、窯元さんを訪ね始めました。ここまでですでに2年。時間の経つのは早いものです。ちなみに「型屋さん」とは、焼き物の生地を成形する為の「石膏型を作る方々」です。「生地屋さん」とはその石膏型に土を流し込んで生地を作る方々です。有田は、生産性を上げる為に分業制をとっています。その為、業種は同じでも個性や特色があり、コアな得意分野に特化しているところが多くあります。お客さんの多様なニーズに応えているとそうなりますよね。工場の連携、材料や製法の相性や組み合わせ。そう、そこはもう袋小路。ある意味、その個性や技術の組み合わせが有田焼と言っていいかもしれません。その多種多様な組み合わせの難しさを知らなかった私、不肖吉田は全く相手にされません。(ろ、ろこつ、、)
モノづくりをなんっも知らん若造商人か。みたいな感じです。
そりゃそうです。素人が足を突っ込む現場ではないのです。さらに時はリーマンショック真っ只中。そんな若造のたわごとなど聞いてる余裕はないのです。激減したけれども今ある少ない仕事を大切にして・・・
仕事が激減?ということは時間はありますよね・・・
うっかり口に出したら怒られました。当然です。でも引き下がれません。だって、もしかしたらもう八合目あたりまで来てるかもしれんじゃないですか。外で職人の洗礼を全身に浴び、会社では親父からの責め苦が。それでも夜が楽しみでした。研究と調べものに没頭し、ぼろぞうきんのようになって眠るのです。朝までは敵も攻めて来ないでしょう。ああ、やっぱり夜っていいなぁと天に感謝しました。5年を迎える頃、この日々に終止符が打たれ、次のステージ・・・硯に組み合わせる筆、墨、化粧箱そして巾着、下敷きの方へ移っていきます。
この先の話は、またくどいので別の機会にします。
この地下活動中に、多くを学びました・・・
原料から製品まで、職人さんの仕事が繋がっている事。
相性や連携が悪ければ、失敗の原因さえ掴めない事。
思いの共有はとても難しいけれど、思いが無いと何も始まらないし進まないこと。
そして、発奮材料を頂いた多くの方々や実は研究を見守ってくれていた両親への恩返しは、職人さんに発注する事そしてそれを継続発展させる事でしか返せない、と思うに至りました。
ご縁のあった方に届けられお役に立てたら、この上ないです。
どこにあっても無心に咲く花のように手元に置きたい愛おしい陶硯であって欲しいと思い、花陶硯(はなとうけん)と名づけました。
こんなちいさな自分のちいさな道具に、拍手をいただけたら幸いです。 よしだ書道具店 店主拝